藤枝静男『田紳有楽;空気頭』(講談社文芸文庫/文庫)

贋作の抹茶茶碗が人に化け、ぐい飲みが金魚と子を作り、弥勒菩薩がこの世の終わりを笑い太鼓を叩く。破天荒な世界を精密な筆で描いた『田紳有楽』と、「私小説」のフォーマットを踏襲しつつも自然描写だけでは記しきれない人間の業のようなものを表現しようとした『空気頭』の2編を収録。

タグをつけるなら、[これはすごい]。安部公房をより内面に向かわせた上に煮詰めたような、濃厚な世界観が新鮮だった。

『田紳有楽』のカオスっぷりは白眉すぎる。自分の考えを語る上で、自らも、対峙する他者の存在すらも邪魔にして、無機物と神だけに世界観を語らせるって発想がすごいなー。その上、オチは笑い飛ばすしかないが憎めないヤケクソな情景。誤解を恐れずに言えば、町田康の『パンク侍、斬られて候』を思い出しました。

結核を煩っている妻を通じてしか自らを描写できない男が紡ぐ私小説『空気頭』も、展開が鮮やかでびっくりした。なんで突然ウンコのエキス飲む話になんのよ、っていう。『空気頭』が書かれたのは1967年。志賀直哉をはじめとした先達が築いた自然主義の限界を感じていたのかなあ、すげーパンクだと思いました。

面倒くさいとか怖いとか言って踏み込んだコミュニケーションから目をそらし、アイデンティティを持て余しがちなときに藤枝静男を読むと、得るものがあるんじゃなかろうか(良いか悪いかは別にして)。ただ、ココまで切実に自分や世界に向かい合う必要が、今の世の中にゃ無いんだよなー。肯定してくれる仕組みが多い時代ってのも、考え物デスね!

田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)

田紳有楽・空気頭 (講談社文芸文庫)

2009/03/08読了(57冊目)