H.S.クシュナー(著)、斎藤武(訳)「なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記」(岩波現代文庫/文庫)

「この苦しみを、なぜ神はわたしに与えるのか」。その設問自体が間違っていたと、ユダヤ教のラビ(宗教者)は気付く。我が子を早老病でなくした著者が、自らが信じていた神の姿を問い直した記録。

世の中って、ほんと生きづらいよな。理不尽なこと多いし、昨日まで正義だと思ってたことが今日には簡単にひるがえっちゃう。そんな中で、伝統的な宗教ですら傷ついた人にとっての救いにはなり得ていない、という現状にまずびっくり。そりゃ新興宗教も取り付くスキがあるわ。

クシュナーが解釈したユダヤ教の神は、苦しいときに側で見守っていてくれる存在だ。苦しみを生み出すわけでもなく、ましてや解消してくれるわけでもない。ただ起きてしまった困難を本人が乗り越える決心が付くまで側にいて、不平を聞き、懺悔を聞き、そして祈りを聞いてくれる。それだけ。でもそれって、人間が持っている希望の力を増幅させたり、困難に直面している当人を取り囲む人々を団結させたりする機能としてはこれ以上ないシステムなんだよな。

人ってコミュニケーションによって救われるし、希望をもって行動することに意味があるんだということを説いてくれていて、うれしかった。SFがたびたび主題にする「意志の力」に興味がある人におススメ。信仰を持たないぼくにも、宗教ではこういったアプローチできるのか、と勉強になりました。

もちろん、理不尽な事実を突きつけられ、なんでこんなことに…、とにっちもさっちも行かなくなった時にも読むべき。下手な自己啓発本読むよりも、ヒントが見つかりそうなテキストです。

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

2009/02/14読了(51冊目)